曲がりくねった道が続く。 ハンドルを右に左にと回してカーブを次々にかわしていくが、真っ直ぐな道は現れず見通しが悪い。 おまけに狭くて上り坂。
(ひどいなこりゃ……対向車がこないってだけが救いだな)
 この山道に入ってからはバックミラーにも反対車線にも車の姿を裕也は見ていなかった。
(もしかしてオレ、ものすっごい田舎にとばされたんじゃないんだろうな)
 ここまで人の気配がないと不安になってくる。 それでも進むしかなく、自然とアクセルを踏む足に力が入る。 スピードが先ほどより速くなったまま急カーブを曲がったとき後ろで物音がした。 何事かとバックミラーを見ると、段ボール箱が転がってふたが開いていた。 そこから分厚い本や表面がボロボロになりかけた小汚いファイルが飛び出し、後部座席を陣取っている。 音の原因が判明すると裕也は再び前を見て、山道を走り続けた。

「っわー……」
 曲線から直線に変わり視界が開け、裕也は思わず声を上げていた。 真っ直ぐな道が続き長い橋がかけられている。 下に広がる川は静かに流れ、この場所からでも川底の石が見えるくらいに水が澄んでいる。
(こんな川あったっけ? 名前なんだったかなぁ)
 自分がこれから一年、世話になる場所だからそれなりに地図を開いて調べてはいる。 しかし目の前に広がる川の名は裕也が見た地図には書いていなかった。
(ま、いっか。休憩しよう)
 駐車するようなスペースは無かったが、ゆっくりブレーキを踏み端へ寄せ止めた。 どうせ車の通りは少ない。 もし誰かが走ってきたとしても余裕でかわせるだろう。 裕也はキーを引き抜いてジーンズのポケットに押し込むと、ドアを開けて外に出た。

 冷たい空気を吸い込むと、肺の隅々にまで新鮮な空気が入り込む。 思いきり吐き出した呼気の中には、心の中にたまっていたものも一緒に出て行く、そんな感じがした。 開放的な気分になったせいだろうか、転落防止用の手すりに片手をつきながら裕也は叫んだ。
「絶対に帰ってきてやるっ、覚えてろ――――っ!!」
 それは今から数ヶ月前にさかのぼる話だった。

「もう一度言ってもらえませんか?」
「何度でも言おう。君には月代町の診療所で勤務してもらうことにした」
「あの辺りって思いっきり田舎じゃないですか。僕が希望出したのは神奈川の病院のほうですよ?」
 納得のいかない人事の話だった。 へき地で医者として頑張ってくれ……そういう話は全く聞いていなかった。 今日突然言われたのである。
「何で僕なんですか?」
「詳しく知りたいかね?」
「ええ」
 少なくとも自分には知る権利はあるはずだ。 裕也は当然とばかりに、堂々と首を縦に振った。

「実はあの地域には私の知り合いの内科医がいてね、是非我が病院にと誘いをかけた。 彼も承諾してくれたのだがあちらは医者不足でな……。 もし彼が欲しいのなら、こちらからも一人よこせと条件を出してきた。 そこで内科医の中で一番若い君にお願いしたわけだ。 へき地医療は勉強してプラスになる事が多い、良いチャンスだと思って行ってみたまえ」
「そ、そうですか……期待に沿えるように頑張ります」
(要するに、オレは取り引きの材料かよ)
 この世界で生きていればよくある話だった。 北川裕也三十歳内科医。 腕で役立たずと言われることはないが、地位としては下っ端からようやく抜け出した程度だった。 当然「嫌です」 と言って拒絶しても、この人事が取り消されることはない。
(ちょっと運が悪かった)
 そう考えて諦め、開き直ってしまったほうが良い。 裕也は大きな長方形の封筒を両手で持ちながら、聞こえてくる医局長の話にただ、頷き続けた。

(俺の人生、紙一枚で決まっちゃうモンなのか)
 医局長のやり取りを思い出しながら川を眺める裕也の手には、異動を命ずることを書かれた紙がある。 この紙は風が吹けば飛びそうだが、裕也にとっては絶対的な存在の一枚だった。
「ま……なるようになれ。期限は一年なんだから一年、我慢すりゃいいんだろ。 へき地ったって別に嫌いじゃないし、話を聞いたら楽しそうだった。 それに食い物とか美味そうだし。イイことあるじゃないか、俺」
 嫌だ嫌だと駄々をこねても、ここまで来てしまったのだから開き直るしかない。 裕也はあまり想像したくないことは頭の中から追いやり、その代わりに楽しそうな風景を脳裏に作り上げた。 目的地には近づきつつある。 出発しようと裕也が川側に背を向けると、視界になにか動くものが飛び込んできた。 木々の緑におおわれた場所では嫌でも目立つ、人工的で鮮やかな赤に全身を染め上げた車だ。

「……あ」
 ここまで自分以外の車を見ていなかったせいか、余計に気になる。 相当なスピードを出しているのだろう。 小さい点だったものはあっという間に大きくなり、あと数秒で裕也の前を通り過ぎていく。 そして何事も無く消えていくはずだった。 しかし、赤い車は真っ直ぐに走り続ける。 そこには停まったままになった裕也にとって大事な生活必需品がある。 だが見ず知らずの運転手は何を考えているのか、スピードを落とす気もかわす気も無いようだ。 裕也が声を出す間もなく、普通は防げるであろう悲劇は起きた。

 急ブレーキをかけてその負担に道路が悲鳴を上げるような高い音と、重い塊同士がぶつかる鈍い音が山中に響いた。 思わず閉じてしまった目を裕也が開けた時には、今度は彼が悲鳴を上げそうになった。 ホワイトシルバーの車体は一見無事そうに見える。 しかし後部が離れたこの場所からでもわかるほど凹んで、太陽の光をまばらに反射させていた。
(ああ……ローンまだ払い終わってないし。つか、行く場所に修理屋ってあるんだろうか……)
 取りあえずは運転手と落ち着いて話し合おう。 裕也はジーンズのポケットからキーを出したとき、赤い車から唸るような低音が聞こえてきた。
(まさか……)
 そのまさかが大当たりだというのは、すぐに知ることが出来た。 車は何事も無かったかのように車線を変えると加速を始め、裕也から離れていく。 ……要するに逃げられたわけである。

 諦めと気だるさに包まれてはいるが裕也だが、もともとは短気で血気盛んと分類される性格だ。 まだ学生感覚が抜けていない。 北川裕也、そう言われることもある子供っぽさが残る三十歳だった。 怒りもすぐに湧き上がり、逃げられれば追いかけ捕まえる、という行動を反射的に選択した。
「くっそ逃がすかコノヤロっ。あんだけ広けりゃ避けれただろーにっ」
 急いで自分の車に駆け寄り乗り込む。 ひび割れたバックライトがふと目は飛び込んできたが、ため息をついただけで立ち止まろうとはしなかった。 エンジンはきちんとかかり、どうやら動作的な損傷は無いようだ。
「逃げ切れると思うなよっ」
 前を見据えて怒り任せに裕也はアクセルを踏み込んだ。