快晴、という単語しか出てこないほどの真っ青な空だった。 しかし山の天気が変わりやすい。 それを現在、裕也は実体験最中であった。
(くっそ、一気に曇ってきやがった……。ガスも出てきたな)
 直線道路で追いつこうと加速をしたが、赤い車もスピードを出していたらしい。 距離が縮まる気配は一向に無く、再びカーブが連続する道に入りだした。 しかも追い討ちをかけるように薄い霧が視界を悪くしだす。 ハンドルをきり曲がり終えたところで、追い詰めるべき車のバックライトが霧でぼやけて見えた。

(コレじゃ全然追いつけない……いや、逃げられそうな気が)
 冷え込んでくる空気は車内にいても伝わってきて、裕也の熱くなりかけた心も冷ましていくようだった。 目の前で起こった悲劇により怒りにとらわれていたが、ふとスピードメーターを見て落ち着きを取り戻した。
(オイオイ。こりゃいくらなんでも出しすぎだな、事故っても文句がいえねぇ……)
 自分の腕と相談して、裕也は安全運転をすることに決めた。 そうすれば裕也はもう前方の車を捉えることができなくなっていった。

 曲がり道はまだまだ続く。 徐々に衝突の怒りは収まりつつあったが、今度はそれに変わって疑問がわきあがってきた。
(おかしいな、こんなに山中だったか?)
 勤務地月代町は盆地で暑さと寒さの温度差が激しい。 そのため果物を育てるのには適した土地で、ぶどう、梨、桃、りんご等、様々な果物の産地となっていた。 裕也はちらりと腕時計へ目をやった。 山道に入ってから二時間くらいになるだろう。 地図で調べたかぎりでは山に入り、上り終わればのどかな農村風景が広がるはずだ。 しかし、いくら目をやっても回りはうっそうと茂る木々ばかり。
(ひょっとして入る道間違ったか? あんな川なんて地図にゃ乗ってなかったからな、あそこの十字路かー? でも看板どおりに進んだよな?)
 下調べした地理条件とは異なり始めてくると、道を間違っているかと思い始めるのは当然のことだ。 裕也は右手でハンドルを握り締め、左手を離してカーナビゲーションの起動スイッチを押した。

 方向オンチっぽく見られるからあんまり使いたくない。 裕也はそう考えており、使用頻度は少なかった。 しかし今は完全に、真っ直ぐ進むべきか引き返すべきか、それすら判断に困っている。 となれば、今こそ活躍してもらう時だろう。 電子的な起動音を奏でながらモニタが明るくなる。 走る速度を落としながら、画面に目をやると裕也はカーナビを馬鹿にするように声を上げた。
「はあっ!? 何だよコレ」
 画面の中で示された現在位置は、道路の上ではなく先ほどの川の上を走っているように表示されていた。

 最新式、どんな山道でも正確に位置を突き止める、これさえあればどんな道も迷わない。 そういう宣伝文句を裕也は購入時に、耳を塞ぎたくなるほど聞かされた。 最後は生返事で右耳から入って左耳から抜けるように聞き流していた。 高性能という言葉に引かれたのは事実でもある。 しかし今、優秀とうたわれた性能はまったく発揮できずにいた。

 正しい発音の見本だと主張する声が裕也に警告し続ける。
「道を外れています」
「現在ルートを探しています」
「道を外れています、50メートル進んだ先でUターンをして、戻ってください」
 ……一体、川の上でどうやって進んで戻れと言うのだろうか?

(オレ、こんな頭の悪いカーナビ買ってたのかよ……)
 何度も同じことを繰り返す声に飽きたのか、裕也は終了のスイッチを乱暴に押した。
(やっぱ戻るか? わかる道まで引き返したほうが……でも面倒だよなぁ。ん?)
 バックミラーへ目を移すと、人の手で作られた何かがあることに気づいた。 木々に囲まれているせいか人工物は目だって見える。 彼は興味をひかれたのか、向かい側からも、後ろからも車が来ないことを確認した後、方向転換をした。

 道路の脇に寄り再び車を停車させる。
(まぁ、また追突されたってどうせ一個のキズが二個に増えるだけ。直すことには変わりない)
 なげやりになりつつ裕也はドアを開けて外に出た。 道路から一歩外れれば、踏み入れれば迷いそうなほど木々がおおい茂る世界が広がっていた。 急な下り坂、いや、坂というよりは崖に近い。
(やっぱコレは階段でアレは家、だよなぁ?)
 鈍い銀色の手すりがつき、段差はきついが他の方法を選ぶよりは安全に降りることができる。 十分に階段の役割を果たしているように思えた。 山菜取りや山歩きの人が使う小屋なのかもしれない。 そういう考えがすぐ思いつくが、階段を降りた先に見えるもの……それは立派な建物であった。

 白い壁は緑一色の世界ではすぐに目に飛びこんでくる。 よく見ると、その建物はいくつかの棟にわかれていて、廊下でそれぞれが繋がっている大きい建築物だというのが上からでもわかった。
(……病院? まさかな)
 ひょっとしたら人がいるかもしれない。 その期待を胸に抱えて裕也は階段の手すりをつかみ、ゆっくり降りはじめた。

 土に足をつけて見上げてみる建物は美術館のようにも見えた。 階段から下りてすぐは道といえるものがなく、草を掻き分けて進んでいくしかなかったが、建物に近づくにつれて景色は一変した。 庭がある。 それも雑草が占拠するような荒れ果てたものではなく、手入れが行き届いた立派な庭だった。 歩道はレンガで敷き詰められてつくらすき間もあったが、雑草が好き勝手伸びて踏んで歩くようなことも無い。 裕也よりも背の高い木々は滑らかな曲線の姿を保つように、伸びすぎた枝は切りそろえられている。
(こんな場所に何でこんなモノが……。アレか? テーマパークとか町おこしとかそんなヤツか?)
 カーナビですら現在地を特定できないような山奥にひっそりと隠れていた建物と立派な庭。 頭の中にいろいろな疑問がわきあがってくるには十分だ。
(でも町おこしなら看板とか、そういうのあるよなぁ……。とりあえずは管理人さんとかを探してみっか)
 裕也は車の中で縮こまった体を伸ばすように、両腕を空へ向けるように上げながら歩き始めた。

 歩道は何本にも分かれており、庭の真ん中で全ての道が集まるようなつくりになっていた。 一番華やかに見せたい場所なのか噴水が設置されていて、水が流れ落ちていく音が心地よく耳に入ってくる。 中央には女性の姿をした天使の像が、裕也に優しく微笑みかけている。
(あんまし神様信じないけど、こういう時こそ迷える子羊を助けてくださいって天使様……)
 少し疲労を感じ始めた裕也は、噴水を取り囲む花壇に手をおいて水飛沫を見つめた。 どこにでも良くあることなのだろうが、水の底には小銭が散らばっている。
(人って何でこう……水のあるトコに小銭入れたがるんだか。ってこりゃ全部五百円玉っ!?)
 よく見ようと身を乗り出そうと花壇に力をこめると、突然手元の感覚が全て失われた。 花壇は意外ともろかったらしく、裕也が少し体重を乗せただけで崩れてしまったのだ。

「え? う、あ?」
 いざ、というときには全く手が伸びないようで体は動かない。 裕也は突然のことに意味が全く無い言葉を発しながら、重力に体を任せてしまった。
(……あー…………)
 オレってついてないと思う間もなく、裕也は流れ落ちてくる水の洗礼を受けながら天使に勢いよく頭から衝突し、意識を失った。