困った。年頃の女の子と上手に接することが出来ない。 年配の医者が若い患者相手に苦労していた姿を思す。 俺は絶対にああならないと裕也は断言したことがあった。 伸ばした手はルシアに届くことなく、中途半端な位置で止まった。
「申し訳ございません。名乗るのが遅れました。私はルシアと申します」
(る……? ああ、最近の子は変わった名前が多いよなぁ)
 聞きなれない人名に裕也は頭をかいた。 これではあの時の医者と大して変わらない。

「喜びのあまりに涙したことをお許しください。使者ユーヤ様」
「はぁ。あの、俺の名前についている名称は一体?」
(ちょっとまて死者ってオレは死んだっていうのか!?」
 死んだと言われればこの状況は納得できる。 きっと頭の打ち所が悪く、人のいない場所では救いの手もあるはずが無い。 そして一人寂しく力尽きた。 裕也の脳内には哀れな話が組み立てられていた。 聞き間違いというのは時に恐ろしい。
「使者ユーヤ様と申しました。 私達を闇から救うために女神ディアラル様の化身として、この地に降り立った救世主。 祈りは届いたのですね」
 ルシアと名乗った少女は再び感極まったのか、胸元に手を当てて声をふるわせる。 頬をばら色に染めて熱い視線を送られると、裕也は彼女から目をそらした。 ここまで女性に熱く見つめられたことは一度もなかった。

「そうかそうかオレが世界を救う勇者様と。死んだワケじゃなかったってことか…… ということで頑張ってくれ。オレは帰る」
 学生の頃に読んだ漫画や遊んだゲームでよくある台詞が飛んでくる。 きっとこれは夢かそうではなかったら何かの集会だ。 関わらないほうが良い。 今までの人生経験を総動員して、裕也はルシアに背を向けた。 ぶつけた頭に鈍痛が走る。 和らげるように手をおくと、頭皮がもりあがっているのが手のひらに伝わった。
「どこに行かれるのです?」
 同時に肩にかけられた手は冷たい。 か弱い乙女の腕ならば裕也でも簡単にふり払える。 しかしルシアの手は裕也の肩をしっかりと掴んでいる。 骨がミシミシと軋む音が裕也だけには聞こえた。

「痛たたたっ。意外と力が強いなアンタ」
「申し訳ありません。残っていただきたくてつい……」
 ルシアが手を離すと裕也は首を左右に動かした。 説明は医者として何度も繰り返した行為だから得意なはず。 しかし唇は動かない。 現実離れしすぎた容姿と言葉を放つ少女の対応方法が見つからない。
(何がどうなってるんだか。とにかくココを離れなきゃ危ない)
「落ち着いてよーく聞いてくれ? オレは特にこれといってその、ルピアが望むような力はない。 そこらへんにいる村人くらいでしかないんだ。諦めてくれ、そしてオレを帰らせてくれ」
「仰られている意味がわかりかねます。女神の使者である貴方がどうして去ろうというのです?」
「オレだって今の状況がさっぱりわからないんだよ」
「確かに地上の出来事を申し上げなかった私に非がありますね。今、この地エルドで起こっていることをご説明致します」
「……?」
 裕也が声を出す前にルシアが物語を紡ぎ始めた。

 神官は神の教えを民に伝え、民は日々汗を流しささやかな幸せを感じながら暮らす。 エルド大陸に流れるときは穏やかなものだった。 しかし三ヶ月前、それは突如として訪れた。 いつも通りに太陽が真上へと昇る昼下がり、空は黒く厚い布におおわれたように光は遮断された。 突然の夜に皆は混乱したが、異形の生物が現れるわけでもなく騒ぎが大きくなる前に再び青空が広がった。 民の間では神の気まぐれと口にしたものだが、それでは済まされないことが起こっていた。

 魔王を打ち滅ぼしたセルア神の神殿で死体が発見されたのだ。 腹部には鋭い爪が一本突き刺さっていた。 それは臓器を養う太い血管を切断しており、周囲の床は血液の赤さで染まっていた。 殺された者は司祭アウトレス。 爪の所持者は書物から魔王の手下であることが判断された。 民は司祭は不慮の事故で亡くなった。 そう信じている。

 当然、調査のために南へ向かう神官騎士達の選出が行われた。 ルシアが女神からお告げを受けたのはこの時だ。
「エルドは闇の脅威にさらされます。ですが私達神は直接、魔王を倒すことはできません。 英雄セルアから閃光の剣、賢者ラッセルからは万象の杖を預かって参りました。 これを操れる者こそ使者として闇と立ち向かうのです。 巫女ルシア、貴方は私の使者が現れるのをお待ちなさい。 使者の名はユーヤ。セルアやラッセルの化身とは違い降り立つのは時間がかかりますが、必ず遣わします」
 女神の声が消え、目を開けたルシアの前には剣と杖、そして衣があった。 剣と杖はそれぞれの神殿へ渡すと、すぐに使いこなせる者が現れた。 セルアの使者は神官騎士のレオン、ラッセルの使者は学者のリートという若者だった。 しかし女神の使者ユーヤは姿を見せなかった。

 待つ間にも魔王は次の手を打ってくるだろう。 そういう意見が日に日に増えていき、遂にはユーヤ不在のまま南への出発が決まったのである。 ルシアは大陸の中でユーヤという名の人物を探した。 しかしよくある名前らしく三百人のユーヤが見つかった。 神衣をまとえることができれば使者なのだが、誰一人として袖を通すことができなかった。

「諦めそうになったこともありました。その時に貴方が現れたのです。 今までのユーヤ様とあなたは違います。 その強そうな意志の黒い瞳。ディアラル様の瞳も黒いと言われております」
「黒目もそれこそよくある瞳では?」
 裕也という名前は珍しくはないが、ここでもユーヤは珍しくないらしい。 興奮を抑えられない様子のルシアに声をかけるが、彼女の耳には最早何も届かない。
(あ、そっか。逆にオレがその神衣ってのを着れなければ開放されるんだな)
 彼女の話を信用するならば、女神に認められなければ自由の身になれる。
「わかった。じゃあその神衣ってのがあるところまで案内してもらおうか?」
 先ほどまで、やる気という単語と無縁だった男は急に元気になる。 案内のため裕也の前を進むルシアの足取りは軽い。 彼女の背中を眺める裕也の表情も明るい。
(ユーヤ様が神衣を着ていただければ、魔王はきっと滅びるに違いありません)
(オレが着れるわけないからな、これで助かる)
 裕也には自信があった。

 北川裕也はどんな人物か。 そう問われると彼を知る人物は「普通の人です」 と口をそろえて言うだろう。 外見の特徴をあげるとすれば、一重とも二重とも区別がつきにくい薄い筋が入った目元だ。 しかし本人と友人には「その中途半端な目元もキライなのよ」 と裕也の恋人が、彼との別れ際に放った言葉が思い出深い。少しだまされやすく流されやすい。 それ以外はどこにでもいる男だった。 裕也もそのことをよく理解していた。 神に選ばれるほど立派な人間ではない。

 外に出ると久々に日光を浴びたような気がした。 いつもより眩しく感じて、裕也はまぶたの上に手をあてて空を見る。 見慣れた太陽の周りに小さな円形の物体が四つあった。
(ちょっと待て、あれも太陽?)
 寒さが厳しい地では、光の屈折により太陽の形が変わるという話を聞いたことがあった。 しかしそれは朝日に起きる現象。 今は昼のようだし、昼寝するには心地よい暖かさだ。
(多分、目がくらんで変に見えただけだ)
 庭園はある一点以外は来た時と同じだ。 手を加えて自然と人工的な形を調和させ目を楽しませる。

「……どうかなさいましたか?」
 ルシアは立ち止まり振り返る。 無意識のうちに足が止まっていたようで、彼女とは距離があった。
「ん? あぁ、ちょっとな。そう言えばココに噴水ってなかったか?」
「いえ。そのような物はありませんが」
 頭をぶつけ意識を失い、不思議な状況に巻き込まれることになった噴水が見あたらない。 その場所には心を和ませる木製のあずまやがある。 だが裕也の心は穏やかではいられない。 あずまやの日陰で動物たちがくつろいでいた。 小型の馬ポニーと思われる生物の額には角がある。 そのポニーの尻尾を口ばしでつついて遊んでいる鳥の翼は四枚だ。
(何がどうなってるんだ?)
 こんな動物は見たことも聞いたこともない。

 もしかして、とんでもない場所にいるのではないか。 裕也の中で新たな不安要素が生まれる。
「アレは一体どういう生き物なんだ?」
「森によく住んでいますユニーとフォースという動物です。よくこの庭に遊びに来るのですよ」
「へぇ……」
 ルシアには珍しくはない生物らしい。
(逃げるっても、車の場所はわからないしな……今はルシアについていくしかないのか?)
 回廊の先には白壁でできた三角すいの建物がある。 近くで見てもそれほどの大きさではない。 入り口は小さくルシアでも屈まなければ入れない高さだった。
「こちらですユーヤ様。頭を打ちませんようににお気をつけて」
「はいはい」
 体を縮めて中に入ると、そこは静寂に包まれた世界だった。

 鳥のさえずりも風でざわめく木々の音も、ここでは聞こえない。 外の日差しは届かないが物が見えないほど暗くはない。 床が淡い光を放っていて建物の中を照らしていた。 裕也は小さくなった体を戻す。 目を動かすと嫌でも目には神衣と思われるものが見えた。
「どうぞ……世界をお救い下さい、お願い致します」
 ルシアの銀色の髪が光を反射させて建物の中を明るく照らす。 裕也よもりルシアが使者としての風格がある。 しかしこの神衣は裕也のほうが似合うだろう。 ため息をつくと、宙に浮いている神衣を掴む。

 クリーニングから帰ってきたばかりできれいに使おう。 そう思わせる白さだった。 布の感触は硬い。 だがそれが心を引き締める気もした。 慣れたように裕也は衣に袖を通して、えりを合わせる。 どう着ればよいのか悩む必要はなかった。
「これで満足か?」
 裕也は鏡を見なくても今の姿は想像がついていた。 ルシアに話しかける。 彼女は女神が授けてくれた神聖なる衣をまとっている裕也の姿に声を失っていた。 ようやく待っていた使者が降り立ったのだ。
「大きさも丁度……やはりディアラル様がユーヤ様のために、与えられたものなのですね」
 ルシアはひざを折り裕也の前で屈む。 裕也を崇めるように彼女は白い手を組んで目を閉じ祈りを捧げた。


「ぴったりって。こりゃオレが研修医の時に着てた白衣じゃねぇかっ!?」
 裕也の叫びは狭い建物中で反射した