白いティーカップを傾ければ中の紅茶も揺れ動く。 湯気と共に立ち昇ってくる香りは何も加えていないというのに、ハチミツと干した果物が混ざったような甘い匂いがした。 家具職人が支払った金銭に見合うだけの労力をつぎ込んで作ったであろうソファでくつろぐ青年は、眉を一瞬歪めてカップをテーブルの上に置いた。
「……気にくわねーのっ」
 青年はソファの背にもたれかかって顔を上げた。 髪と同じく深海を思わせる深い紺色の瞳に映るのは、汚れの全くない白い天井に古そうだが格調はありそうなランプの照明。 そして耳には聞き覚えのある二人の声が流れ込んでいた。 深刻そうな話をしており、片一方の声には確実に不機嫌な感情がむき出しになり、やる気の無さそうな生返事をしている。

「何が気に食わないんだ、クールス?」
 どうやら呟きは机と向き合ってきちんと椅子に座っていた青年と、行儀悪く机に腰かけて足を組んでいる青年に聞こえていたようだ。
「いや、ねぇ? あんまりイヤってことじゃないんだけどさ。よく二人とも、そうイライラしてる時間を続けられるなーって思って」
 クールスに声をかけた男もまた、彼と同じ目と髪の色をしていた。 ルーストという名前で、彼の2歳上の兄である。
「お前、相変わらず人の話を聞いていないな……」
「聞いてたさ、だから気にくわねーの。ルー兄じゃなくて、ソッチのすぐにヘソをまげるワガママ小僧にね。なぁ、フェント?」

 ワガママ小僧と呼ばれた男は今までクールスのほうに見向きもしなかった。  藤色の瞳と同じ色合いの髪。 フェントは不思議なことに所々に鮮紅色の髪の毛が混じっている。 招かれた客人のために用意された紅茶はフェントの手にもあった。 ティーカップよりも白く、上質な絹をまとわせたような皮膚で作られた長い指がカップから離れ、頭に置かれる。
それからようやくソファのほうへ顔を動かすと、フェントは足を組みなおしながら口を開いた。
「イヤーな話を聞かされたってのに、ニコニコ笑ってられるほどオレはヤなヤツじゃないんでね。クールス、お前ならそういうの得意だろ?」
 黙って口を閉ざしていればフェントはきっと、飾り気のない部屋を華やかにしてしまう雰囲気を出せるだろう。 性別関係なく人の心を奪いそうな容姿、と例えることもできるかもしれない。

「そういう愛想って生きていく上で大切なモンよ? 人は一人で生きていけないわ、と色んな本や話で色んな人が熱く語ってらっしゃいますよー、見習わなくっちゃフェント君」
「愛想がなくてもオレの美貌で、人は勝手に寄ってくるから別にイイ。逆に、そういう恵みを受けて生まれなかったクールス殿が可哀想で同情しちゃうなぁ、オレ」
「うっわ出たよ本音。さっすがヤな男ナンバーワン、不動の地位は確保だねっ」
「見目うるわしい者は妬まれる。当然なんで何言われても聞こえませーん」

 髪色と同じく鮮やかな赤さが目を惹く、フェントの薄めの唇から出てくる言葉。 見ただけで瞬時に真面目と印象付けるルーストと、似た顔立ちを持つクールスの言葉。 彼らの口調とセリフはあまりにもふざけすぎて、軽かった。
「一応、私の頼み事は真剣なものだ。二人とももう少し真面目に受け止めてもらいたいのだが」
 ルーストは深刻な話をしていた。 しかし、緊張・真面目・真剣……そのような言葉は彼らの話し声からは全く感じとることが出来ない。 女王が一番に信頼を置く補佐官は二人との付き合いが長いためか、諦めに近いため息をついた。
「聞いてましたよー。親愛なるお兄様のお話は記憶にすぐれたこの頭がしーっかりと叩き込んで忘れやしません」
「お前にお兄様といわれると、どうも気持ち悪くて仕方が無いのだが……。ではやるべき事はわかっているんだな?」
「まぁね、要するに街に入ってきた危険人物を追い出せ。そういうことだろ?」

 彼らが住んでいるファダム王国は百年と他の国に比べれば短いほうだ。 以前は商業と魔法の都市として栄えており、周囲にあった農村地帯を巻き込み建国された。 ルーストは女王の補佐、秘書として忙しい日々を送っている。 今回、王都に厄介なものが潜んでいるという情報をうけ、この二人を呼び出したのであった。 ただの噂ならあまり深刻にならずにまずは本当かどうか確かめるところだが、彼に教えてくれた人物は信頼できる人で、嘘を教えることはないだろう。

(クールスはともかく、フェントに頼んだのは間違いだったか……)
 弟であるクールスは、いつもルーストから調査・潜伏、などの仕事を頼まれていたので、今回も引き受けてくれるだろう。 フェントもある程度は嫌そうな顔をしながらも確かな結果を残していった。 彼ら二人は盗賊や暗殺者のフリをして情報を得たり、公には出来ない取引を行うなどの仕事を行っていた。 このくらいのことなら挨拶程度の返事をして従っただろうが、今回はどうもフェントがおかしい。
「…………なぁ、本当に邪族が侵入したワケ? アイツらって強暴だからすぐ暴れてつかまりそうなんだけどさー……ここまで大人しいってことは別人じゃねぇの?」
 わかった、の返事だけで引き受け、やり方には多少問題はあったがフェントはそれなりに成果を上げた。 時々めんどくさそうな態度を示すこともあった。 しかし、今はあきらかに心の底から任務を避けようとしている。 関わりあいたくない、そういう感情が言葉にも、顔にも浮き上がっていた。 原因は恐らく、邪族、というところにあるのだろう。

 邪族は身体能力も、使える魔法も人間種族を上回っている。 ただ攻撃的で、他の種族は全て敵と見なしているので関わり合うことはまずない。 普通は住みかであるラバット地方から出てくることはないのだが、何故か王都にやってきた。 理由が全くわからないが、良くないことが起こる可能性があることは否定できない。 そのため迅速、かつ的確に処理できるであろうクールスとフェントを選んだのだ。 ただ、フェントが邪族という言葉を耳にするだけで顔を歪めるくらい、嫌いだったということをルーストは知らなかった。

「フェント、気に入らないのであれば辞退しても構わないが」
 ルーストは机に肘をつき組んだ手を口元に持っていきながら、フェントに声をかけた。 視線の先にあるのは、机に堂々と座り込んでいる青年の背中。 後ろからでも背骨の曲がり具合や、肩がすっかり下がっているところから意欲の無さがにじみ出ている。 やる気なくされるのは別にいい。 強すぎる嫌悪感により任務に支障をきたすのであれば、クールス一人でやらせたほうが成功率は上がる。 ルーストの台詞はフェントに選択の自由権を与える優しいものではあったが、その中には合理性を追求したものが混じっていた。
「……じゃ、遠慮せずにやめる」
 あっさりとフェントはルーストの提案にのった。 机の側板を軽く蹴ると腰かけていた机の上からおり、足音を立てずに着地する。 何を思ったのかクールスが座っているソファのほおうへ歩き出す。 一般男性より背は高いほうで、均整の取れた体系と長い手足が彼をすらりとした長身だというのを強調しているようだ。 ソファに座ったままのクールスと視線を合わせる。
「それじゃー、クールス。頑張れよ」
 口先だけのはげましの言葉を、一人で任務にのぞむ青年にかける。 クールスが任せとけと言うかわりに片腕を上げて手を振ろうとしたときだった。
「フェントはそれでいいの?」
 この部屋に新たな人物の声が響いた。