「フェントはそれでいいの? 本当はやりたそうな顔しているようだけど」
二十二年前の英雄、勇者と聞いたらどんな姿を思い浮かべるであろう。
年月がたった今でも風格を保った戦士。
功績が認められ騎士団長になり、国をまとめていく重要な存在。
それとも風のように吹き抜けて、最初からいなかったかのように消える。
(んー……どれって言われたら多分、一番最後なんだろうけどなぁ)
クールスは冷めて温くなった紅茶が入ったティーカップを手に取り、入り口に立っている人物を観察した。
容姿はおとなしそうな少年、という言葉がぴったりくる。
だがそれはあくまでも、外見、である。
「おー、シャルトル。最近やったら老け込んだルー兄に、秘訣の伝授をお願いしたい若いなー」
「その老け込む一部の原因はお前らでもあるのだが」
「若いって、クールス……。僕はもう四十代に突入したところなんだから、からかっているようにしか聞こえないよ」
外見だけ少年の男は肩をすくめながら、自分より年下の青年のからかいをかわす。
途中で聞こえてきた兄弟同士のやりとりが面白かったのか、シャルトルの口元はほころんでいた。
ルーストは外見は二十八歳という年相応に見られるだろう。
ただ、先ほどから続く機嫌の悪いフェントと陽気な弟クールスとの交渉。
三日ほど前から積もってきた仕事の山が彼の体にのしかかり、顔に疲労が出てきたのは隠しきれずにいた。
「シャルトル、遅くなったが情報提供に感謝する」
「良いよ。最初は騒ぎになりそうだから迷ったけれど、放っておくと悪い方向になりそうだったから」
ルーストに邪族が王都に潜入したと告げたのはシャルトルであった。
今までも、暗殺者が女王に近づいている・ルーストの妻と子供が野心ある者に狙われている・クールスが土産に持ってきた品は呪いの塊……など、様々な助言をルーストに与えてくれた。
それは全て密偵が手に入れるよりも早く、大ざっぱではあるが正確で信頼できるものだった。
多数の部下も目まぐるしく変動する情報網も持ち合わせていない彼が、なぜそこまで出来るかはわからない。
一度ルーストは聞いてみたが、なんとなく、の一言を笑顔で答えられたことがあった。
(考えなくたってスッゴイ人で、伝説になってるってのにフツーにココにいるのも凄いよなぁ)
クールスは片ひざを抱えるように両手を足に持っていきながら、兄と会話を続けているシャルトルを再び見る。
誰にでも好感を与えそうな笑みを浮かべながら兄と話している人は、二十二年前に活躍した英雄。
それは間違いない事実。
凶暴で警戒心が強く攻撃的な種族、邪族。
しかも岩を握れば砕くことができるほどの握力、全力疾走を続けることが出来る並外れた持続力に、魔法を操る能力。
これらを保持していて暴れた時の被害は計り知れないものがある。
彼らはラバット地方のみに住んでおり、周辺の国は監視をおこたることはなく、緊張感はあったが平和な時が流れていた。
しかし突然邪族たちは隣国へ攻撃をしかけ、圧倒的な力の前に小国、大国、関係なく残虐な行為が繰り返された。
各国はそれぞれ必死で抵抗したがなすすべも無く侵略を許した。
その手がファダム王国に伸びてきたときにシャルトルが現れた。
彼が戦いの中に身を投じて一週間。
たった一週間で、シャルトルほぼ一人で狂ったように暴れていた邪族を鎮静させた。
邪族が砦として使っていた街は、彼が起こした災害により一夜で消滅。
街で本能おもむくまま暴力を振るっていた種族たちは、操られるように歩き出しラバット地方に戻っていったという。
当然ながら多数の国を巻き込んだ戦争を、あっさり終結させた人物としてシャルトルの存在は知られている。
だがその時、彼は名前を名乗ることは無く、人々が歓喜に満ちあふれた中で公の場から姿を消した。
最初から存在していなかったのではないかと今では言われている伝説の英雄。
しかし、シャルトルは確かに存在しているのである。
「アンタが教えたってコトは正しいんだろうな。でもホントはもっと詳しく知ってるくせに教えてねーだろ、絶対」
ルーストとシャルトルの会話が、それぞれの家庭の話になり穏かな空気が室内に漂う。
しかし、それを遮断するかのようにシャルトルが現れてから、全く口を開かなかったフェントが声を出した。
「フェント、僕が言えるのはここまでで後は……」
「オレらが動かなきゃダメ、だろ? どーせアンタは口だけで動かない。オレらが動き回って探してるものがあったとして、アンタは全部知ってるのに教えてくれもしないし助けてもくれない。サイテーとしか言葉が出てこねぇ」
言いたいことを全て吐き出すと、フェントは唇の片端を吊り上げて神経をさかなでるような微笑を作った。
ぶつけられたシャルトルのほうは穏かな表情を崩すことなく、深緑の大きい瞳をフェントに向けた。
「真面目な話をすると長くなるだろうから、言おうとする前に逃げるでしょ? ずっと聞いているのはフェント、苦手だものね」
「……よくご存知で」
シャルトルの口から出てきた言葉は正しすぎて、フェントは反論できずに低く小さい声でぼそりと呟いた。
「はっはっは、バレてるぞフェント。自慢じゃあないがオレはばっちり寝る自信がある。シャルトルさっすがー、ついでに紅茶のプレゼントは嬉しかったけど、オレあんまし匂いつきのって好きじゃなくってさ。今度は違うのがいーな」
再び沈黙するように唇を固く閉ざしたフェントを見て、クールスは一人で楽しそうに両手を叩きながら笑った。
笑い声がおさまった後は、ティーカップを掴んでシャルトルに見えるように振って図々しく注文をつける。
「子供達には評判が良かったんだけどね、今度違うのを持ってくるよ」
「よっしゃ。ついでに紅茶の葉っぱと一緒に、娘さんと息子さんもつれてきてなっ」
「情けない自信を持つなわが弟よ。あと、落ち着きと遠慮を知れ」
「知ってますけどぉ。遠慮をしちゃ世の中やってけないという神様のお告げを聞きまして」
クールスにルースト、そして時折シャルトルの笑い声が混じる談笑がフェントの前で繰り広げられていた。
フェントは右手を軽く握り奥歯をかみしめる。
(どうでもいいや)
肺に残っていた空気を吐き出し新しい空気を取り込むが、どこかで息苦しさを感じた。
床を踏むように靴音を鳴らしてしっかり立つ。
背筋も伸ばすように顔を上げたら、三名の瞳がフェントに向けられていた。
「……何? オレはとっととイヤな仕事を終わらせにいくつもり。ソレで皆様方はご満足で満足ないだろ」
整いすぎた容姿を持つ青年は三名の返事を聞く気がないのか、扉の方角へ体を向けて歩き出した。
肩、背中に視線が突き刺さるが知らないフリをして振り返らず進む。
ただフェントの進路方向には、どうしてもシャルトルの姿が目に入った。
「オレは弱くない、もう一人立ちした立派な大人。だから、干渉されりゃムカつくんだよ」
歩く速度を遅めシャルトルとすれ違うときに、フェントは負け惜しみに近いものを投げつけた。
「フェント、僕は……」
シャルトルは何か言おうと口を開きかけたが、扉の閉まる大きな音が耳を刺激して反射的に目をつぶった。
片耳に手をおきながら、ゆっくりまぶたを持ち上げていく。
だがすでに、シャルトルの視界の中にはフェントを捉えることは出来なかった。
シャルトルは閉まった扉をただじっと見つめた。
彼にとってそれは自分に心を開いてくれないフェントの姿と重なる。
「あーあ、なんであんなにワガママなんだろうねぇ?」
クールスは長い足を投げ出して背中をソファに押し付けた。
しかし兄ルーストに何とか聞き取れるくらいの声で名前を呼ばれると、彼はようやくソファから立ち上がった。
今まで座っていたためわからなかったが、クールスは長身の分類に入るフェントよりも背が高い。
「わかってますって。アイツは強いけど、時々目立ちすぎて失敗するからさ。この優秀かつ控えめな私ことクールスがついてなきゃ、邪族は追い払えてもソレだけでおしまい。何が目的かってコトはわからずじまいで収穫ナシ、ってことでさっさとフェントを追いかけろってことだろ?」
一息で言い終わるほどの早口でクールスはしゃべる。
早すぎて少し聞き取りにくかったが大体の内容をシャルトルとルーストは把握できた。
「なら言うことは無いな。わかっているなら実行して来い」
「はいはいはいはーい。ま、ぜーんぶお任せなさいっ」
ルーストとクールスは兄弟で年も二歳しか離れていない。
弟は背が跳びぬけて高く、兄と違い癖のない真っ直ぐな髪質だった。
髪と瞳の色が同じ以外は共通点がなく、似ていないと言われるのだが一番の違いは言動だろう。
スキップをするかのように飛び跳ねて動くクールスの足先は、しっかりフェントを追うように扉のほうへ進んでいた。
「クールス、気をつけて。僕が言うのも変だけどフェントのことをよろしくね」
「言われなくたって俺がいれば全てがオッケイ。心配するなら、帰ってきた後のごほうびの心配をしてくれ。それじゃ、シャルトルにルー兄、行ってきまーすっ」
クールスは長い両腕を伸ばしてシャルトルとルーストに手を振り、軽い足取りで部屋を出て行った。
「全く、あいつは危機感というものが無いな」
ルーストは賑やかな弟がいなくなると、机の引き出しを開けて一通の手紙を手に取った。
「でもフェントの性格が、あそこまで明るくなったのはクールスのお陰だよ。感謝しないと」
「…………それは悪化の間違いではないか?」
きちんと角を合わせて四つに折られた便せんを開きながら、ルーストは顔をしかめる。
人差し指にわずかな痛覚を感じて先を見てみれば、皮膚にはうっすらと鋭利な紙で切られていた。
一度はじっと傷口を眺めたが、すぐに目は開いた便せんの字面へ動いた。
「確かに最初会った時と比べてフェントは変わったな。あの時は貴方以外、誰とも口を開こうとしなかった」
ルーストは顔を上げると机の真後ろにある窓側へ首を捻った。
空は灰色で厚い雲の隙間から覗く光が、細い線となって王都に降り注いでいる。
その光景をシャルトルも眺めていることに、ルーストは気が付いていた。
フェント。
これだけが彼が教えてくれた名前だった。
ルースト、クールスには共通のシュートカデルという姓がある。
シャルトルにもフュードという姓がある。
だが、フェントには無かった。
否、教えてはくれなかった。
シャルトルは知っているのかもしれないが。
フェントが来たのは十年前の霧の濃い、春に近づき始めた季節だった。
今と同じ姿をしているシャルトルの背に隠れ、ルースト達兄弟を見つめていた。
警戒心をむき出しにした藤色の瞳が、冷たい光をたたえていたのが強い印象に残っている。
「なんっかティスより生意気げなオコサマだな」
「うるさい。お前だってまだオコサマだろう」
「ティス、クールス。ここで喧嘩をするな」
兄弟仲良く言い争う姿を見て、小さなフェントは完全に隠れようとシャルトルの後ろに回ろうとした時
「フェント。彼らは悪い人なんかじゃない。ちょっと変わっていて、見てるととても面白い兄弟なんだよ」
……今覚えば極めて失礼な発言だ。
シャルトルは人見知りの激しいフェントの肩をそっと掴み、挨拶させるように前に立たせた。
短い袖のシャツからは骨と皮しか無さそうな細い腕がのぞき、肌は不健康そうな青白さ。
その中で藤色の瞳だけがやけに輝いている。
「…………す…」
「フェント、もう少し大きな声で」
シャルトルは優しく声をかけ、何度も励ますように軽く肩を叩いた。
その励ましに押されるように、フェントは始めて顔を上げて三人を見つめ口を開く。
「これからお世話になります。オレに比べれば大したこと無さそうだけど、足手まといにならない程度に付き合ってください」
その瞬間、ルーストにはこれからの苦労が思い浮かび、クールスは興味とライバル心が湧き上がり、末っ子のティスは明らかな嫌悪感を抱いたという。
「……思えば最悪といえる出会いだったかもしれないな」
苦笑いするように短く息を吐き出すと、ルーストは紙に視線を落とし仕事を始めた。
「そう? 僕は良かったと思ったよ。フェントが他人とあんなにしゃべったのは、あれが初めてだったんだ」
シャルトルは腕を伸ばして窓の取っ手をつかむと、思い切り押し開けた。
入ってくる空気は少し冷たがったが、気持ちを切り替えるには丁度良い。
ルーストの執務室は城の中でも高い位置にあり、ここからは王都の町並みを見下ろすことが出来た。
「そして、これからが始まり……かな……」
シャルトルが発した小さな声は風に消え、ルーストに届くことは無かった。